
笑顔のスタジアム
STADIUM OF SMILES
去る5月31日は、2002年のワールドカップ日韓共催が決定した1996年5月31日から20年目の記念日で、日本サッカー協会に当時の関係者が集まりました。
あの2002年の招致活動がなければ、北は札幌、南は大分に至るまで、国際試合が開催できるスタジアムは、存在しなかったかなと思います。
日本招致委員会の会長は、日産自動車の社長・会長を務められた石原俊さんで、私は事務局長でした。今、私が日産スタジアムの名誉場長として働いていることに、当時からの縁を感じています。
20年前ですから、今日のような便利な通信手段のスマートフォンもなければ、招致活動で日本の提案を説明するにも、ノート型パソコンなどはありません。VTRのテープを持っていき、訪問先の会議室のテレビに映して説明していました。時代が大きく変化していると言えます。
2002年のワールドカップのFIFAの規定では、決勝戦会場の収容人員は65,000人でした。当時の招致活動の売り物は、『その条件を満たすスタジアムは、もう既に横浜で建設が始まっています。だから、日本開催は全く問題ありません』と、PRできたことでした。
日本代表チームが、ワールドカップの予選に初めて挑戦したのが、1954年のスイス大会でした。その後も予選を突破できず、決勝大会に進めたのが、1998年フランス大会です。44年もかかりましたが、その時は3連敗でした。
今年も、日本で2002年ワールドカップが開催された6月になりました。日本代表がワールドカップ決勝大会で初勝利したのが、2002年6月9日です。日産スタジアムにおいて、稲本潤一選手のゴールを守り切り、1対0でロシアを破ったのです。初勝利の記念日として、6月9日をご記憶ください!
6月30日は、日産スタジアムでドイツ対ブラジルの決勝戦が行われた日です。優勝したブラジル代表キャプテンのカフーが、本来は優勝カップを置く細い台に、優勝の喜びで登ってしまったのです。慌てて登壇者達が支えたその台が、日産スタジアムに大切に保管されています。スタジアムツアーに参加される方は、観ることができることもご報告します。