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笑顔のスタジアム

STADIUM OF SMILES

Stadium of Smiles ~笑顔のスタジアム~

Stadium of Smiles ~笑顔のスタジアム~

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小倉 純二
日産スタジアム名誉場長
昭和13年8月14日生まれ
日本サッカー協会会長、FIFA理事、東アジアサッカー連盟会長を務める。
現在、日本サッカー協会相談役
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セルジオ越後さん おめでとうございます!
2017.08.07

ちょっと太めの辛口批評家などとして人気のあるセルジオ越後さんが、外国人として、日本政府からの旭日双光章を受賞したお祝いの会が、7月31日に都内のホテルで、大勢の仲間が集まって開催され、私も出席しました。

セルジオ越後さんは、72歳になっていますが、来日したのは1972年で、当時の日本サッカーリーグの藤和不動産チームに、日本では初めてのブラジルの元プロ選手として来日しました。日本のサッカーが1968年メキシコオリンピックで銅メダルを取り、1972年ミュンヘンオリンピックでの活躍を期待していたものの、最終予選で中国に敗れて出場出来なくなり、落ち込んでいた時の来日でした。
細身の、ボール扱いが絶妙な選手で、セルジオ越後さんを見たくてお客さんが集まったのを、私も良く覚えています。スピードのあるパスの出し手として、日本リーグのチームは、皆、翻弄されてしまったのです。

藤和不動産では2年間しかプレーしなかったのですが、再来日して永大産業のコーチを務めた後に、「さわやかサッカー教室」を開いて日本国中を回り、日本の延50万人のサッカー少年、少女にボール扱いの楽しさを教えたのです。
日本サッカーの代表選手や指導者は、セルジオ越後さんの「サッカー教室」の影響を受けた人達が多く、日本のサッカーが全国に普及した理由の一つになっています。今回の叙勲の理由でもありますね!

日本で2002年FIFAワールドカップが開催された時には、セルジオ越後さんの発想で、来日する外国人が道に迷ったり、不便を感じないようにする為に、在日外国人のボランティアのチームを作り、当時、私は日本側の運営の責任者をやっておりましたので、セルジオ越後さん達のチームが横浜駅の近辺に集まり、横浜駅から横浜国際総合競技場-日産スタジアム-に行く道案内をしてくださったのを、今でも大変有り難く思っているのです。

これから、2019年にラグビーのワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピックが横浜で開催されますので、セルジオ越後さんの発想を、また生かしたいですね!