オリンピックコラム第1回~第4回

 新横浜公園メールマガジンにて4月9日(金)~8月13日(金)まで毎週金曜日配信予定の「オリンピックコラム」をまとめて記事にしました。今後も随時まとめていきますので、ぜひご覧ください。

 

第1回テーマ:「聖火リレー」

 今週から新横浜公園メールマガジンでは、特別企画として2020東京オリンピック・パラリンピックに関する様々なテーマでコラムを掲載していきます。掲載期間は大会終了まで全19回の予定です。ぜひお楽しみください。

 第1回目のテーマは「聖火リレー」について取り上げます。日本では3月25日(木)に福島県にあるJヴィレッジから始まり、連日メディアで聖火ランナーが走る様子が伝えられています。

 聖火リレーはオリンピック・パラリンピックの機運醸成を目的に、1936年ベルリンオリンピックでの初開催以来、社会情勢や開催国の事情により少しずつ変化を遂げながら欠かすことなく続いてきました。その間、2000年のシドニー大会では海中、2014年ソチ大会では国際宇宙ステーションを経由するなど開催国による特色のある聖火リレーが実施されてきました。東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火リレーのコンセプトとして「Hope Lights Our Way/希望の道を、つなごう」を掲げ、47都道府県の特色を出した聖火リレーが実施されます。横浜市では、横浜国際総合競技場前を含め6月30日(水)に通過予定です。(※現在、神奈川県内の公道走行を中止し、点火セレモニー等を実施する方向で組織委員会と調整中です。2021/6/24)

 新型コロナウイルス感染症拡大により、聖火リレーでも沿道での観覧自粛など大きな影響が出ていますが、一緒に希望の道をつなぎ、大会を盛り上げていきましょう。

 

 

第2回テーマ:「オリンピックの歴史(1)古代」

 オリンピックが始まって今回の2020東京オリンピックが何回目の開催か知っていますでしょうか。今大会は第32回目となっています。この32回という数え方は1896年のアテネオリンピックから数えての回数となっています。しかし、オリンピックの歴史はもっと古く、今から約2800年前の古代ギリシャ時代までさかのぼります。当時は宗教行事として陸上競技や格闘技などの種目を開催していたと言われています。長く続いた古代ギリシャ時代のオリンピックは戦争をきっかけに393年の第293回を最後に1度、終焉しています。古代ギリシャ時代のオリンピックが「古代オリンピック」と呼ばれるのに対して、1896年に再開したオリンピックは「近代オリンピック」と呼ばれています。

 次回のコラムでは「オリンピックの歴史(2)近代」をテーマとして過去に1度終わったオリンピックが長い時を経て1896年に再び開催されることになった歴史を紹介します。ぜひご覧ください。

参考:公益財団法人日本オリンピック委員会「オリンピックの歴史」

   <URL: https://www.joc.or.jp/column/olympic/history/001.html>(2021年4月現在)

 

 

第3回テーマ:「オリンピックの歴史(2)近代」

 古代ギリシャ時代に一度終了したオリンピックが1896年に再び開催されることになった背景にはフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンが深く関わっています。

 彼はスポーツを通じた教育とその先にある世界平和を目指す理想(オリンピズム)を掲げました。この理想を実現する手段として、オリンピックの開催を国際会議の場で提案し、出席者の賛同を得たことで1896年に近代オリンピック第1回目となるアテネオリンピックの開催を実現させました。彼はオリンピックのシンボルでもある五輪のマークを考案するなど、さらなる発展に努め、オリンピックの礎を築き上げました。彼が考案したオリンピズムは現在まで受け継がれ、日本でもオリンピックを契機にスポーツの普及・発展が進み、1912年ストックホルム大会では日本人選手の初出場、1964年の東京オリンピック、今大会の2020東京オリンピック・パラリンピック開催につながっています。

参考:公益財団法人日本オリンピック委員会「オリンピックコラム」

   URL: https://www.joc.or.jp/column/olympic/>(2021年4月現在)

 

 

第4回テーマ:「パラリンピックの歴史」

 1948年の第14回ロンドンオリンピックに合わせて開催された、車いす患者によるアーチェリー大会がパラリンピックの起源です。大会を提唱した医師のルードウィッヒ・グッドマン博士は、当時すでに「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障がいを持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」という展望を語っていたそうです。1952年には国際大会になり、1960年には第1回パラリンピック大会と位置付けられました。1964年の第18回東京オリンピック競技終了後には全ての障がい者が参加できる大会にしようと、車いす使用者対象と車いす使用者以外の障がい者対象の二部制で開催されました。

 パラリンピックの「パラ」って何だろうと思ったことはありませんか?そもそもは「Paraplegia(対まひ者)」のオリンピックでしたが、東京大会から車いす使用者以外の障がい者も参加するようになり、身体障がい者の国際大会として、1985年に「平行な」「もう一つの」という意味のパラレル(parallel)の「パラ」と解釈されるようになり、もうひとつのオリンピックとしてパラリンピックが公式名称となりました。1964年東京大会の日本人選手は病院などから集められた患者が大半で、社会復帰し、家族を持っている外国人選手に驚いたということです。これを機会として国内の障がい者スポーツの普及が進んだことは大変意義のあったことだと思います。

 次回のテーマは「マスコット」です。ぜひご覧ください。

参考:日本パラリンピック委員会「パラリンピックとは」

   https://www.jsad.or.jp/paralympic/what/history.html(2021年4月現在)

   公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「オリンピック・パラリンピック学習読本」

   https://education.tokyo2020.org/jp/teach/texts/book/(2021年4月現在)

 

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