令和2年度は、コロナ禍のため麻生養護学校元石川分教室インターンシップ実習の受け入れを断念いたしましたが、今年度はコロナ感染防止対策をとり5月28日(金)に実施しました。

 インターンシップ実習の受入れ趣旨に賛同していただきましたサカタのタネグリーンサービス株式会社様より、花苗(マリーゴールド)約600ポットのご提供をいただき、新横浜公園中央広場10箇所の花壇に植えました。

 今回、日産スタジアム運営ボランティア(グリーン&クリーン部会)の方々に実習のお手伝いをいただきました。

生徒代表神谷さんからご挨拶をいただき実習をスタート

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2班に分かれてソーシャルディスタンスをとりながら花植え付け作業説明を実施しました

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生徒さん26人で、中央広場10か所の花壇に約600ポットのマリーゴールドを植えていただきました。

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植え付けが終わったら、生徒さん全員で花の水やりを行いました。

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こちらの生徒さんは、回転しながら水遣り作業。

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 綺麗に生徒さんに植え付けしていただきました

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2年前植え付けした苗木をカラスが抜いているのを発見したので、

ボランティアさんにカラス除けの糸を付けていただきました。

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 お手伝いいただいたボランティアさんに麻生養護学校の生徒さん全員で

お礼のご挨拶をしていただきました。

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看板を設置して麻生養護学校の協力を公園利用者の皆さまに周知

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 中央広場花壇に生徒さんが丁寧に植え付けてくださったマリーゴールドは、8月中旬から10月上旬には、苗木が約3~4倍に成長して見ごろを迎える予定です。

 また、新横浜公園には、他にもいろんな種類の花や樹木が植えられています。是非そちらも一緒にご覧になってください。

 次回の実習は、秋に行う予定です。

 麻生養護学校元石川分教室の皆さん、ありがとうございました。

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 新横浜公園メールマガジンにて4月9日(金)~8月13日(金)まで毎週金曜日配信予定の「オリンピックコラム」をまとめて記事にしました。今後も随時まとめていきますので、ぜひご覧ください。

 

第1回テーマ:「聖火リレー」

 今週から新横浜公園メールマガジンでは、特別企画として2020東京オリンピック・パラリンピックに関する様々なテーマでコラムを掲載していきます。掲載期間は大会終了まで全19回の予定です。ぜひお楽しみください。

 第1回目のテーマは「聖火リレー」について取り上げます。日本では3月25日(木)に福島県にあるJヴィレッジから始まり、連日メディアで聖火ランナーが走る様子が伝えられています。

 聖火リレーはオリンピック・パラリンピックの機運醸成を目的に、1936年ベルリンオリンピックでの初開催以来、社会情勢や開催国の事情により少しずつ変化を遂げながら欠かすことなく続いてきました。その間、2000年のシドニー大会では海中、2014年ソチ大会では国際宇宙ステーションを経由するなど開催国による特色のある聖火リレーが実施されてきました。東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火リレーのコンセプトとして「Hope Lights Our Way/希望の道を、つなごう」を掲げ、47都道府県の特色を出した聖火リレーが実施されます。横浜市では、横浜国際総合競技場前を含め6月30日(水)に通過予定です。(※現在、神奈川県内の公道走行を中止し、点火セレモニー等を実施する方向で組織委員会と調整中です。2021/6/24)

 新型コロナウイルス感染症拡大により、聖火リレーでも沿道での観覧自粛など大きな影響が出ていますが、一緒に希望の道をつなぎ、大会を盛り上げていきましょう。

 

 

第2回テーマ:「オリンピックの歴史(1)古代」

 オリンピックが始まって今回の2020東京オリンピックが何回目の開催か知っていますでしょうか。今大会は第32回目となっています。この32回という数え方は1896年のアテネオリンピックから数えての回数となっています。しかし、オリンピックの歴史はもっと古く、今から約2800年前の古代ギリシャ時代までさかのぼります。当時は宗教行事として陸上競技や格闘技などの種目を開催していたと言われています。長く続いた古代ギリシャ時代のオリンピックは戦争をきっかけに393年の第293回を最後に1度、終焉しています。古代ギリシャ時代のオリンピックが「古代オリンピック」と呼ばれるのに対して、1896年に再開したオリンピックは「近代オリンピック」と呼ばれています。

 次回のコラムでは「オリンピックの歴史(2)近代」をテーマとして過去に1度終わったオリンピックが長い時を経て1896年に再び開催されることになった歴史を紹介します。ぜひご覧ください。

参考:公益財団法人日本オリンピック委員会「オリンピックの歴史」

   <URL: https://www.joc.or.jp/column/olympic/history/001.html>(2021年4月現在)

 

 

第3回テーマ:「オリンピックの歴史(2)近代」

 古代ギリシャ時代に一度終了したオリンピックが1896年に再び開催されることになった背景にはフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンが深く関わっています。

 彼はスポーツを通じた教育とその先にある世界平和を目指す理想(オリンピズム)を掲げました。この理想を実現する手段として、オリンピックの開催を国際会議の場で提案し、出席者の賛同を得たことで1896年に近代オリンピック第1回目となるアテネオリンピックの開催を実現させました。彼はオリンピックのシンボルでもある五輪のマークを考案するなど、さらなる発展に努め、オリンピックの礎を築き上げました。彼が考案したオリンピズムは現在まで受け継がれ、日本でもオリンピックを契機にスポーツの普及・発展が進み、1912年ストックホルム大会では日本人選手の初出場、1964年の東京オリンピック、今大会の2020東京オリンピック・パラリンピック開催につながっています。

参考:公益財団法人日本オリンピック委員会「オリンピックコラム」

   URL: https://www.joc.or.jp/column/olympic/>(2021年4月現在)

 

 

第4回テーマ:「パラリンピックの歴史」

 1948年の第14回ロンドンオリンピックに合わせて開催された、車いす患者によるアーチェリー大会がパラリンピックの起源です。大会を提唱した医師のルードウィッヒ・グッドマン博士は、当時すでに「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障がいを持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」という展望を語っていたそうです。1952年には国際大会になり、1960年には第1回パラリンピック大会と位置付けられました。1964年の第18回東京オリンピック競技終了後には全ての障がい者が参加できる大会にしようと、車いす使用者対象と車いす使用者以外の障がい者対象の二部制で開催されました。

 パラリンピックの「パラ」って何だろうと思ったことはありませんか?そもそもは「Paraplegia(対まひ者)」のオリンピックでしたが、東京大会から車いす使用者以外の障がい者も参加するようになり、身体障がい者の国際大会として、1985年に「平行な」「もう一つの」という意味のパラレル(parallel)の「パラ」と解釈されるようになり、もうひとつのオリンピックとしてパラリンピックが公式名称となりました。1964年東京大会の日本人選手は病院などから集められた患者が大半で、社会復帰し、家族を持っている外国人選手に驚いたということです。これを機会として国内の障がい者スポーツの普及が進んだことは大変意義のあったことだと思います。

 次回のテーマは「マスコット」です。ぜひご覧ください。

参考:日本パラリンピック委員会「パラリンピックとは」

   https://www.jsad.or.jp/paralympic/what/history.html(2021年4月現在)

   公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「オリンピック・パラリンピック学習読本」

   https://education.tokyo2020.org/jp/teach/texts/book/(2021年4月現在)

 

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観察日 : 2021年 5月25日(火)

場 所 : 大池周辺

生きもの: カルガモ、キジバト、ムクドリ、ダイサギ

記事作成: 阿部裕治(NPO法人鶴見川流域ネットワーキング)

 

  前日に続き、気温は30℃に迫る暑さ。観察はお昼過ぎから大池を中心に行いました。水面にはヒシの葉が展開し、大分目立つようになってきました。今年の冬から開放されている水際突堤に入り、先端から周囲を双眼鏡で見回すと、水面にオーバーハングしている(張り出している)ヤナギの木陰にカルガモのペアがいました。暑い日は木陰で涼む。鳥も人も考えることは同じですね。突堤を出て大池沿いに進んだ先の木陰でもカルガモが休息し、キジバトは日陰の中だけで採食していました。

 

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日陰で休息するカルガモやキジバト

 

  さらに大池沿いを進むと、数羽のムクドリが草地で餌をとっていました。ちょうど草が刈られたばかりのようで、虫を捕りやすいのでしょうね。私も草を刈っていて、後ろを振り向くとムクドリがたくさん集まっていることがよくあります。採食の様子を観察していると、餌は食べておらず、嘴(くちばし)にくわえたまま団子のようになっており、間もなく飛び立っていきました。繁殖の時期ですので、雛のために餌をとっていたのでしょう。ムクドリは暑い日でも子育てで大忙しのようでした。

 

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刈られたばかりの草地

 

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子どものために一生懸命エサ探し

 

  越流堤前付近に来ると、ダイサギが水辺を歩き餌を探している様子。よく見ると、嘴(くちばし)は黒く、目と嘴(くちばし)の間は青緑色に変化していました。これは婚姻色で、非繁殖期は、写真右のように嘴(くちばし)は黄色です。嘴(くちばし)の色がこれだけガラッと変わると、同じ種の鳥だとはなかなか思えないですね。

 これから暑い日が多くなっていきます。熱中症や新型コロナウイルス感染症対策もしっかり行い、観察をお楽しみください。

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婚姻色のダイサギ             9月の様子

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 5月23日(日)、初夏を思わせるような天気の中、田植えと隣接する花壇の花植えを「日産スタジアム運営ボランティア グリーン&クリーン部会」が主管して、公募した18家族で行いました。

 5月に入ってから本日の田植えのために部会の皆さんが、田起こし(田んぼの土の掘り起す作業)、代掻き(水を張ってかき混ぜて平にする作業)を行って準備しました。

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 初めての田植え体験は、恐る恐る泥の中に足を踏み入れていましたが、お父さん、お母さんの力を借りてだんだん上手に苗を植えることができました。足を泥に取られて転倒する子どもや、田植えより泥んこ遊びが楽しい子どももいて田植え作業を楽しみました。

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 田んぼに隣接する花壇では、ボランティアさんがスコップで土を掘る作業を丁寧に説明しながら、「ペチュニア」、「日々草」、「ブルーサルビア」などの色鮮やかな花を植えました。

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 今年の秋には、たくさんお米ができるように、木札に願いを書き入れて自分が植えた苗の場所に立てました。収穫が楽しみです。

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 新横浜公園U字橋花壇に植栽していたパンジーをサンパチェンスに植え替えました。

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写真:パンジー花壇(前回)          写真:サンパチェンス花壇(今回)

 植え替えをしたばかりで小さいですが、蕾を付けているサンパチェンスも見られます。これから成長していく姿を見られるのが楽しみです。

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 ここで、サンパチェンスついて紹介します。

 皆さんの中には、インパチェンスは聞いたことあるけどサンパチェンスはあまり聞いたことがない方もいるかもしれません。私も実は聞いたことがありませんでした。

 サンパチェンスは、インパチェンスを品種改良したものです。インパチェンスの酷暑や直射日光に弱い性質を品種改良の技術で、暑さや日差しに耐えられる強いお花に改良したものです。

 サンパチェンスのサンは太陽、ペイシェンス(パチェンス)は忍耐という意味で品種名が付けられています。

 

 サンパチェンスの紹介の中にも出てきたので、インパチェンスについても紹介します。和名は、アフリカホウセンカと呼ばれ、「アフリカからもたらされたホウセンカ」という意味で付けられました。小学校の教材として多く用いられているホウセンカの仲間です。

 インパチェンスは、日当たりが悪くても良く育つというメリットもありますが、夏に花期を迎えるため、直射日光が当たる場所に植えてしまうと花付が悪くなってしまうというデメリットがあります。そのため、インパチェンスはシェードガーデン(シェードガーデン:日陰でも育つ植物を用いるガーデン手法)として使われることが多いお花です。

 

 

 サンパチェンスの見頃は、気温が高くなる6月下旬から8月頃に最盛期を迎えます。開花するまでにもう少し時間が掛かりますが、前回、はなの便りのブログで紹介した中央広場花壇では開花していなかったペンタスが見頃を迎えました。色鮮やかな花壇となっていますので、お近くにお越しの際は、サンパチェンスと併せて中央広場花壇もお楽しみください。

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